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2261 どう攻める世界遺産登録

2010/02/08 14:34

 

 

 昨年11月8日に開かれた鎌倉市世界遺産登録推進協議会主催のワークショップ「どう守る私たちの世界遺産」の報告書のために書いたレポートです。報告書もそろそろできあがると思いますが、とりあえず私の原稿分だけ当ブログで紹介させていただきます。
 
 
どう攻める 世界遺産登録
            宮田一雄    
 
 長い時間をかけて継承されてきた貴重な文化や自然を守る。そのことの重要性を否定するつもりはまったくないのだが、世界遺産登録推進協議会が主催する3回目のワークショップのテーマ「どう守る 私たちの世界遺産」には少々、当惑があった。あれれ?といった微妙な違和感というか。《武家の古都・鎌倉》の世界遺産登録推進を目指そうという時期に、守りに入ってしまったらダメでしょう。攻めなきゃ。そんな感想ですね。
 
鎌倉はつい2年前まで、2010年の世界遺産登録を目指していた。そのために、2008年には文化庁から世界遺産登録の推薦をしてもらい、2009年に現地調査を受け、といった工程表も組んでいた。今ごろは粛々とそのプロセスが進められている・・・はずだったのに、2008年5月になって、突如(という印象が強かった)、そのタイムスケジュールがご破算になってしまった経緯がある。
 
理由はともかく、その結果として、曲がりなりにも盛り上がっていた地元の気運といったものが、かなり大幅に冷え込んでしまったことは、鎌倉に住んでまだ3年にしかならない私にすら、感じられた。今年10月になって鎌倉市と神奈川県、横浜市、逗子市の4県市が文化庁に推薦要請を行い、登録推進プロセスも再始動した印象ではあるが、それでも現状は、《鎌倉を世界遺産に》という気運が再び盛り上がるのかどうか、やや心許ない。そんな印象がある。
 
以上のようなことを考えながら、ワークショップの開始時点で最初のコメントを求められたときには、《攻撃は最大の防御であり、防御は攻撃の入口でもあります。ワークショップの議論では、「どう守る世界遺産」と同時に、「どう攻める世界遺産登録」という積極的な攻めの視点も必要なのではないか・・・》といったことをお話しした。
 
 ただし、これは言わずもがなの指摘だったようで、6つのテーブルに分かれたディスカッションは、テーブルの隅っこに座って、その様子を少しずつ見たり、聞いたりしただけでも、積極果敢、かつ刺激に富むものであることが感じられた。各テーブルそれぞれのまとめ役の方の報告があるので、内容についてはそれを見ていただければ、一目瞭然だろう。
 
前2回のワークショップ同様、今回もまた、コメンテーターとして、大いにその議論を楽しませていただき、刺激も受けた。そのことを踏まえ、世界遺産としての鎌倉をどうとらえたらいいのかについて、もう少し個人的な感想を付け加えたい。
 
個々の歴史的遺産としての社寺仏閣、遺跡といったものはもちろん、世界遺産(であるべき町)としての鎌倉を構成する重要な要素だが、鎌倉の魅力はそれだけではない。少なくともそれだけで鎌倉の魅力を語ることはできない。今回のワークショップでは、いくつかの世界遺産候補の対象別にグループが編成され、議論がスタートしたが、話は鎌倉の町が抱える課題の方に向かっていく印象を受けた。個々の遺産候補を包含し、なおかつ多数の人が生活したり、訪れたり、生産活動に従事したりしている現役の都市としての鎌倉の、いわば面的な魅力といったものこそが、実は世界遺産として認識されるべきなのではないか。
 
 福澤さんからは最初に都市計画などの際に使われるレイアーという考え方についてお話があった。積み重なるものといった意味だろうか。《武家の古都・鎌倉》の世界遺産候補は主に、鎌倉幕府の政権中枢と深く結びついた歴史的なスポットによって構成されている。考えてみれば、中世の鎌倉は古都ではなく、武家政権の成立という歴史のドアを押し開いた新しい町であり、その新しさがあったからこそ、逆に古都は初めて古都として成立することが可能になる。新しく誕生した都市を土台にして、次の時代、そしてまた次の時代というように蓄積された時間が現在の鎌倉という町を構成している。そう考えることもできる。
 
 鎌倉と外部世界とを結ぶ(あるときは隔てる)主要交通路だった7つの切通を歩けば、道路の両脇の壁に幾筋もの地層を見ることができる。レイアーは都市の中の不可視の地層のようなものだろうか。地層の筋を微細に分析していくことは、研究者にとって重要な意味を持つのだろうが、そこまでの眼力も知識もない社会科見学の小学生でも、岩肌の筋の美しさに魅せられ、大人になってからも憶えているといったことは十分、ありうる。その地層のような堆積こそが鎌倉の魅力だとすれば、レイアーの議論は、鎌倉の何が世界遺産としてふさわしいのかを考えるうえで興味深い。
 
 現在の候補遺産は、ユネスコ世界遺産委員会において、日本が推薦する世界遺産として通りやすいコンセプトを明確化するために選ばれているような印象を受ける。しかし、鎌倉の魅力は何だろうということを考えると、《武家の古都》からは抜け落ちるものの、捨てがたい魅力は、町の中のいたるところに、どっさりとある。それをいまから、あれも、これもと数えはじめれば、おそらくは収拾がつかなくなってしまうはずだ。したがって、世界遺産登録プロセスの戦略は現在のコンセプトで進め、その一方で、地元では世界遺産としての鎌倉の魅力は何かについての議論を同時並行的に進める。世界遺産登録を推進していくには、そうしたダブルトラック作戦が必要ではないか。ワークショップの議論を聞きながら、そんなことを考えた。コンセプトの明確化が求められる一方で、地元の盛り上がりも、鎌倉に対する今後の評価の大きな要素になるからだ。
 
 米国バラク・オバマ大統領は11月14日、東京・赤坂のサントリーホールで、アジア外交演説を行い、少年時代に母親とともに鎌倉を訪れた思い出を語った。平和と静けさの象徴としての大仏について語り、子供だったので抹茶アイスの印象の方が強かったと笑いを取るあたりは、さすがスピーチの名手のオバマさんだと感心する。
 
 日米間の懸案がどっさりある中で、日本との親密な距離を強調するための小さなエピソードだったとはいえ、オバマ演説で真っ先に名前が上がったのが京都でも奈良でもなく、鎌倉だったことには注目しておきたい。考えてみれば、抹茶アイスも日本中世と欧米近代の食文化との融合の精華であり、その源流をたどると、鎌倉五山第三位の寿福寺にまでたどりつく。北条政子に招かれ、寿福寺の開山となった禅僧・栄西は、宋から帰国した際に茶の種を持ち帰り、日本におけるお茶の紹介者となった。栄西がお茶の効用を書いて源実朝に献上した『喫茶養生記』は寿福寺の寺宝として残されている(現在は鎌倉国宝館に寄託されているようです)。日本のお茶の文化の出発点も鎌倉だったわけで、後にアメリカ合衆国大統領となる少年に深い感銘を与えた抹茶アイスもまた、鎌倉抜きには語れない。
 
 オバマ大統領が演説を行ったのは、ワークショップ「どう守る 私たちの世界遺産」が開かれた後だった。したがって、ワークショップでオバマ演説が取り上げられることはなかったが、ワークショップの各グループの魅力的な議論を聞いていなかったら、私もまた、オバマ大統領が演説で証明した抹茶アイスの「顕著で普遍的な価値」に思いを馳せることはできなかっただろう。これからも魅力ある議論の機会を数多く作り、鎌倉の世界遺産登録を求める地元の動きが盛り上がっていくことを期待したい。

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2010/02/09 08:49

田中=小沢型政治の罪、、、知識、見識、モラルにも「格差」はあるぞ [みんなの党を適当に応援しよう]

 

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51371015.html 小沢一郎氏が不起訴になったのは、最高検の政治的判断だったようだ。これは検察の組織防衛上はやむをえないのかもしれないが、 以前の記事 でも書いたように…