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1606 ラーメンの小池さん すごいぞ日本 ファイル12 

2009/01/22 08:58

 

 

 アニメキャラ日本助演男優賞というのがあったとしたらラーメンの小池さんは確実に最終候補の5人の中に入るのではないでしょうか。「すごいぞ日本」のファイル12「創造力は想像力」の第5回です。「コイケさんが開いた可能性」
 
 鈴木さん、本当に隣の絵の小池さんとよく似ています。トキワ荘、恐るべし。

カテゴリ: 話題!  > 話のタネ    フォルダ: 大手町夜更かし控

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コメント(10)

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2009/01/22 10:47

Commented by tomikyu08 さん

瀬尾光世氏が、昭和19年から20年にかけて、東京空襲が激しくなる中、完成させた傑作アニメ『桃太郎 海の神兵』という作品があるのはよく知られていますが、そのハイライトというべきミュージカルシーンに、東南アジアの子供たちへの識字教育の重要さを描いた「アイウエオの歌」という素晴らしいシーンがあります。未見の方は一度ご覧ください。
http://jp.youtube.com/watch?v=nzzctRDcfXE&feature=related

瀬尾さんたちの思いが、今、後輩たちの手できちんとかなったわけですね。
(このシーンは識字教育ではなくて皇民化教育であるからけしからん、という批判があることは知っていますが、やはり、瀬尾さんたちの頭には識字教育、という意識も大きかったであろうと思います)
20年4月に公開されたこの作品自体が、当時国内でどれだけの児童の目に触れたか、ましてアジアの子供の目に触れたかは、はなはだ疑問ですが。

 
 

2009/01/22 11:38

Commented by 宮田一雄 さん

tomikyu08様

 世の中は昭和20年で截然と切り分けられるものではないのですね。

 
 

2009/01/22 12:41

Commented by tomikyu08 さん

To 宮田一雄様
昭和18年に100%セル画のアニメーション『くもとチューリップ』を政岡憲三氏が制作し、政岡の弟子の瀬尾光世が、19年に『桃太郎 海の神兵』を作ったことが、日本アニメの大きな飛躍点になったと思います。
松本零二や、手塚治虫がアニメの制作を志したのは、彼らがこの作品を戦時下の封切り時に見たのが、おおきなきっかけになっているそうですから。
これが戦後のことだったら、アメリカのアニメの影響を強く受けすぎて、今のような日本独自のアニメーションは育たなかったかも知れません。

確か、満映でのアニメ制作から、東映動画につながる発展の経路もあったと思いますが、これも戦中から用意されていたので、日本独自の進化をとげるのに役立ったようです。

もちろん、戦中の作品にもディズニーなどの影響は見てとれますが、戦中ゆえに、ディズニーべったりのものにはならなかったのが結果として日本アニメにとっては幸いしたと思います。

 
 

2009/01/22 17:24

Commented by 宮田一雄 さん

tomikyu08様

 東映動画といえば、小学生の頃、学校の映画鑑賞会で『白蛇伝』を見に行ったことがあります。靖国神社の近くの銀映座でした。日本初の本格的な漫画映画という触れ込みだったと思います。私のような良い子の小学生は素直に信じて誇らしい気持ちになったものですが、その前史があるんですね。

 
 

2009/01/23 06:59

Commented by tomikyu08 さん

宮田一雄様
私も、『白蛇伝』で、アニメに目覚めた口ですし、何より宮崎駿が、『白蛇伝』を見てアニメーターを志した、という点で、重要な作品ですが、満映から、『白蛇伝』にいたる物語は、面白いです。
(あの<蛇の精である女主人公>に李香蘭のイメージが投影されているらしい、というのは、今回ネットで検索して初めて知りました)
細かいことは、整理してまた書かせてください。

 
 

2009/01/23 08:26

Commented by 宮田一雄 さん

tomikyu08様

 ありがとうございます。
>重要な作品ですが、満映から、『白蛇伝』にいたる物語は、面白いです。

 それは面白そうですね。楽しみにしています。

 
 

2009/01/23 10:15

Commented by tomikyu08 さん

To tenyoufood様

アニメ『白蛇伝』の企画は、もともとは、香港の映画製作会社から東映に持ち込まれた企画だったんですよね。(結局、東映がその企画をパクった?)

『白蛇伝』は、中華世界では、1950年代当時スクリーンで見ることができたんでしょうか?
ご存じでしたら、教えてください。

 
 

2009/01/23 14:13

Commented by tomikyu08 さん

満映から『白蛇伝』へ・その1

満洲映画協会(1937~1945)では、日本人以外への宣撫、教育用にわかりやすい映画、ということでアニメーションにも結構力を入れていたようです。
有名なアニメ作品としては『虱は怖い 原題:子虱的怕可』(加藤泰通監督・1944年)があります。(加藤泰通のちの加藤泰監督は戦後、東映の黄金時代をささえ、藤純子主演の『緋牡丹博徒 花札勝負』などにいたる数々の名作を作るわけですが)
最後のころには、日中両国で人形アニメの源を作った持永只仁氏が満映のアニメ部門に加わったことも良く知られています。
ところで、満映の幹部として甘粕満映理事長の服毒自殺に立ち会った、数少ない甘粕側近の一人が赤川孝一氏(作家の赤川次郎氏の父)で、彼は、帰国後、東映の幹部として、映画の企画制作に携わっていたようです。
従って、1957年頃、香港の映画界から、東映にアニメ『白蛇伝』の企画が持ち込まれた時点で、大川博社長は、東映動画を立ち上げ赤川氏を同社の社長に起用して、香港との合作ではなく自社でアニメの製作を行うべく、当時日本最大の動画会社であった、「日動映画」や、横山隆一氏の「おとぎプロ」などのスタッフを雇い入れ、新人も募集して自前でのアニメ『白蛇伝』の製作に向けてのりだしたわけです。
ナレーションに森繁久弥を起用したのも、赤川氏の満映時代の人脈によるものと想像されます。(森繁の件は、全く私の想像ですが)

 
 

2009/01/23 14:14

Commented by tomikyu08 さん

(上記の文章については、以下のサイトなどを参考にしました。)

持永只仁監督について
http://www.comicbox.co.jp/dcs/motinaga.html

『虱は怖い』について
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA11472506/AjiaShakaiBunka-Kenkyu_6_121.pdf

この時代の東映動画についての白川大作氏の証言
http://www.style.fm/log/02_topics/top041108a.html

同じく、大塚康生氏(宮崎駿を指導、育成したアニメーターとして有名)の講演より
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/ohtuka/ohtsuka-kouen1.html

チンケなパクリだらけの文章ですみませんが、おじゃまでなければ、「その2」も書かせてください。

 
 

2009/01/23 16:18

Commented by 宮田一雄 さん

tomikyu08様

 加藤泰監督は加藤泰通監督だったんですか。面白いですね。その2もどうぞ。

 
 
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